ぬんこんにちは
ミニマリスト ぬん です
ミニマリストを目指す過程で学んだ
少ないモノで、心地よく暮らすヒントをお届けしています。
今ここを生きるということ


ザッハリッヒ(地に足をつけて生きる)
アルフレッド・アドラー(Alfred Adler)
私が人生の見方を大きく見直すきっかけになった一冊があります。
それが『嫌われる勇気』です。
この本を通して知った、アドラー心理学の考え方は、
それまで当たり前だと思っていた価値観を静かに揺さぶってきました。
その著者が語っていた言葉の中に、「今ここを生きる」という生き方があります。
今回は、その内容がとても印象に残ったので、
自分なりに整理し、記事として書いてみることにしました。
私たちは、今を生きられていないことが多い
ザッハリッヒとは、簡単に言うと「地に足がついた」という意味です。
しかし、私たちは実際には「今」を生きられていないことが多い。
過去のことを思い返して後悔し、未来のことを考えて不安になる。
けれど、不安になっても何かが解決するわけではありませんし、
過去を悔やんでも過去に戻ることはできません。
だからこそ、今ここを生きるしかないのです。
今ここを一生懸命に生きるからこそ、
次の一歩を踏み出すことができるのだと語られていました。
ここで、「今ここを生きられなくしている理由」として、三つの点が挙げられます。
人からどう思われるかを気にしてしまう


一つ目は、人からどう思われるかを気にしてしまうことです。
人からどう思われるかを気にしていると、人に合わせて生きることになります。
その結果、自分が本当に生きたい人生ではなく、
「人によく思われるための人生」を生きるようになります。
これは日常生活の中でもよく見られることです。
たとえば職場で、
「こんなことを言ったら上司はどう思うだろうか」「同僚はどう感じるだろうか」
と考えてしまい、不満があっても口にできない。
そのように、人からどう見られるかばかりを気にしている状態は、
本当の意味で自分の人生を生きているとは言えません。
その意味で、これは「今ここを生きていない」状態だと語られていました。
「あるべき自分」を見てしまう
二つ目は、「あるべき自分」や理想の自分を見てしまうことです。
特に自分自身について、「こうあるべきだ」という理想を強く思い描いてしまう。
しかし、現実に生きられるのは、ありのままの自分だけです。
それにもかかわらず、理想を高く掲げすぎてしまうと、
地に足のついた生き方ができなくなります。
ありのままの自分を受け入れることが大切だと聞くと、
「それでは成長できないのではないか」と感じる人も多いかもしれません。
それでも、出発点は常に今の自分しかありません。
たとえば二階の部屋に行くとき、
はしごもかけずにジャンプして登ろうとしても、ほとんど不可能です。
一方で、はしごの段を一段ずつ上がっていけば、確実に二階に近づいていきます。


今の自分を見ずに、到底できもしないことをやろうとする生き方は、
現実から遊離した人生になってしまう。
そのような生き方をしてはいけない、ということが語られていました。
「今は仮の人生」だと思ってしまう
三つ目は、「今はまだ本当の人生を生きられていない」と思ってしまうことです。
何かが実現したら、本当の人生が始まる。
そのように考える生き方は、「今ここ」を生きていません。
何かが実現するかどうかは、今の時点では分かりません。
成功するかどうかも、先のことは誰にも分からない。
それにもかかわらず、未来のことばかりを考えてしまう人はとても多いです。
たとえば、
- 子どもの頃から受験のために勉強し、
- 小学生のときは中学生のことを考え、
- 中学生になれば高校、高校に入れば大学のことを考える。
- そうして人生を先送りにして生きてしまう。
しかし、アドラーはそのような生き方を
「ザッハリッヒではない」、つまり地に足のついた生き方ではないと考えています。


今、この瞬間を大切に、集中して生きることが大切と言います。
評価や承認に価値を置きすぎてしまう問題
人は、承認欲求を持ち続けてしまいます。それ自体は人間として自然なこと。
しかし、人間の価値が他者の評価に依存していると考えてしまうところに問題があります。


ドイツの詩人、ライナー・マリア・リルケは、
詩を書くときにいつも、ある一点だけを自分に問いかけていたと言われています。
それは、「自分は書かざるを得ないのかどうか」という問いです。
書きたいから書く、評価されたいから書く、売れそうだから書く。
そういった理由ではなく、書かずにはいられないのかどうか。
リルケは、そのことだけを考えようとしていました。


実際、私たちは「書かざるを得ない」という理由で何かをすることは、ほとんどありません。
詩に限らず、仕事でも、表現でも、行動でも、多くの場合は評価を求めて動いています。
- これをやったら認められるだろうか。
- 評価されるだろうか。
- 売れるだろうか。
- 成功するだろうか。
若い詩人が、自分の詩を評価してほしいとリルケに手紙を送ったとき、
リルケはとても厳しい言葉を返しています。
「そんなことは、もう今後一切やめなさい」と。
そしてこう続けました。
夜中に、自分自身に問いなさい。
私は詩を書かずにはいられないのか。
書かないという選択は、本当にできるのか。
その問いに対して、「はい」と答えられるのであれば、詩を書きなさい。
そうでないのなら、書くべきではない。
リルケは、他人からの評価や成功とは切り離したところで、
仕事や表現に向き合う姿勢を求めていました。
これは、詩だけの話ではないと思います。
生き方そのものにも、同じことが言えるのではないでしょうか。
- 他者から認められるかどうか。
- うまくいくかどうか。
- 成功するかどうか。
そういった基準ではなく、本当に自分がしたいことをしているのか。
そこを、厳しく自分に問い直さなければならない。
それが、「自分として生きる」ということなのだと思います。
私たちはいつの間にか、生産性に価値を置きすぎてしまいました。
- 何かを成し遂げなければ価値がない。
- 結果を出さなければ意味がない。
そんな考え方の中で、自分の存在価値までもが、
成果や評価に結びついてしまっているように感じます。
だからこそリルケの言葉は、今の時代にも重く響きます。
「書かざるを得ないか」という問いは、
「それをせずにはいられない生き方をしているか」という問いでもあるのだと思います。
私たちは、生産性や成果によってしか自分の価値を感じられなくなっています。
しかし、子どもが何も成し遂げていなくても存在そのものが喜びであるように、
大人もまた、何も達成していなくても、生きているだけで価値があるのではないか。


そのように語られていました。
人生はゴールを目指すものではなく、踊るように生きるもの


人生は、よくダンスにたとえられます。
音楽が始まればダンスが始まり、音楽が終わればダンスは終わる。
それ以上でも、それ以下でもありません。
踊っている最中、私たちはこう考えるでしょうか。
「このダンスが終わったら何をしよう」「この踊りは、どんな意味があるのだろう」
おそらく、そんなことは考えていません。
ただその瞬間を踊り、その時々を味わっているだけです。
そして音楽が終わり、振り返ったときに初めて、「ずいぶん遠くまで来たな」と感じる。
これが、人生のあり方なのではないか、という考え方があります。
これは刹那主義、つまり「今だけを楽しめばいい」という話ではありません。
そもそも人生を「現在・未来」という直線で捉えない生き方が大切だ、という考え方です。
私たちはどうしても、人生を直線的に見てしまいます。
始まりがあり、終わりがあり、過去があって、未来がある。
「80歳まで生きるとしたら、40歳は折り返し地点だ」
そんなふうに考えてしまう人もいるかもしれません。
けれど、80歳まで生きられる保証は、誰にもありません。
明日のことさえ、実のところ分からない。
実際、人生がこの先ずっと続くとは、誰も約束されていない。
だからこそ、生きられるのは「今ここ」しかない、ということです。
「今ここ」を生きることが、生きる喜びになる


「今ここを生きる」というのは、何も考えずにぼんやり生きることではありません。
もし、自分がこうして生きていることが、何らかの形で他者に貢献していると感じられたとしたら、
それは大きな生きる喜びになります。
そしてその喜びは、過去でも未来でもなく、「今ここ」でしか味わえません。
そうやって日々を生きていれば、振り返ったときに、ダンスのように
「ずいぶん遠くまで来たな」と思える瞬間が訪れるかもしれない。
それがいつなのか、そもそも訪れるのかどうかは、誰にも分かりません。
けれど、自分の生がすでに何らかの意味で他者に貢献していると思えるなら、
毎日はそれほど苦しいものではなくなる。
もちろん、嫌われることはあります。それでもいいのだと思います。
ストア哲学とアドラー心理学の共通点
ストア哲学者であり、ローマ皇帝でもあったマルクス・アウレリウスは、
自分自身にこう語りかけています。
お前は、悩みの原因が外にあると思っているだろう。
しかしそれは違う。
悩みは、起こった出来事そのものにあるのではなく、
その出来事をどう解釈したかにあるのだ。
これは、アドラー心理学と深く通じています。
私たちは「起こった事実」ではなく、「その事実をどう意味づけたか」によって苦しんでいる。
同じ出来事を経験しても、解釈の仕方は人によってまったく違います。
だからこそ、その意味づけを変えていくことが大切だと、アドラーは説きました。
まとめ|この考え方をこれからの人生に活かしたい


『嫌われる勇気』をきっかけに触れた、アドラーの「今ここを生きる」という考え方は、
過去や未来に引きずられがちな自分の生き方を見直すきっかけになっています。
評価や成功に縛られすぎず、
過去に囚われすぎず、
未来を不安に思いすぎず、
地に足をつけて、今ここを生きる。
この考え方を、これからの人生の中で大切にし、少しずつでも実践していきたいと思います。
振り返ったときに、私自身も「ずいぶん遠くまで来たな」
と思えるような生き方を目指していきたいと思っています。













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