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ぬんこんにちは
ミニマリスト ぬん です
ミニマリストを目指す過程で学んだ
少ないモノで、心地よく暮らすヒントをお届けしています。
働いても働いても、なぜか満たされない。
節約しているはずなのに、心はいつもどこか落ち着かない。
そんな感覚を、私は長い間抱えていました。
それなのに今は、以前よりお金を使わなくなったにもかかわらず、
暮らしの満足度はむしろ高くなっています。
では、なぜお金を使わなくても満たされた暮らしができるようになったのか?
その要因を改めて振り返ったとき、ひとつの結論に行き着きました。
「ミニマリズムとヒュッゲの価値観を、生活に取り入れたから」です。
ミニマリズムとは、モノで溢れた現代社会へのカウンターとして広がった、
必要最小限のモノで暮らす生活スタイルのこと。


一方、ヒュッゲとは、北欧デンマークで古くから大切にされてきた、
「心地よさ」や「穏やかな時間」を大切にする考え方です。


この2つを掛け合わせたことで、私は「足りない暮らし」ではなく、
「すでに満たされている暮らし」に気づけるようになりました。
ヒュッゲが生まれた背景には、デンマークという国の環境も大きく関係しています。
北欧デンマークは、世界的に見ても税金が高く、冬は寒さが厳しく、雨や曇りの日が多い国です。


外でお金を使って楽しむことが難しい環境だからこそ、
「家の中で、いかに心地よく過ごすか」という知恵が育まれ、
ヒュッゲという価値観が自然と根づいていったのだと思います。
一般的にヒュッゲというと
- ふかふかのソファ
- 肌触りのいいブランケット
- 気を許せる人との時間
など リラックスできて、ほっとするもの全般を指すことが多いです。


ただヒュッゲに関していうと、私はデンマークに行ったこともなければ、
ヨーロッパに足を運んだことすらありません。
研究者でもないので、本場デンマークのヒュッゲを語れる立場でもありません。
それでも、ひとつだけ確信していることがあります。
毎日を心地よく暮らすために大切なのは、ヒュッゲの歴史を完璧に理解し、
本場の暮らしをそのまま真似することではありません。
「自分に合った心地よさを、自分の暮らしの中で見つけること」
それこそが、ヒュッゲの本質だと私は感じています。


ヒュッゲとミニマリズムは、切り離して考えるものではなく、両立して考えるものだと思っています。
どれだけヒュッゲな道具を揃えたとしても、余計なモノで溢れた空間では、
本当の意味で心地よく暮らすことはできません。
素敵なインテリアや考え方を、最大限に活かすためには、
まず「持っているモノを減らすプロセス」が欠かせません。
順番を間違えると、ヒュッゲはただの「お金のかかる雰囲気づくり」で終わってしまいます。
私が大切だと感じている順番は、次の通りです。


- ミニマリズムをベースにした、ヒュッゲな暮らし方を知ること
- ヒュッゲな空間をつくるための道具の揃え方を学ぶこと
- 思考を整えること
- 生活習慣を整えること
- 時間の使い方を見直すこと
お金をかけずに心地よく暮らすために必要なのは、特別なモノを増やすことではありません。
日常の中で、ヒュッゲな瞬間を連続させていくことです。
空間だけを整えても不十分で、
思考を切り替え、習慣を身につけ、時間の使い方を変えていく。
その積み重ねが、暮らし全体を整えてくれます。
そして、順番こそが何より大切なのです。
ここから先は、私が実際に取り入れてきた
「ミニマリズムをベースにしたヒュッゲな暮らしの整え方」を、
順番どおりにお伝えしていきます。
大切なのは、いきなり形から入らないこと。
ヒュッゲは、段階を踏むことで、
お金をかけずに、自然と暮らしに根づいていきます。




一章:ミニマリズムをベースにした、ヒュッゲな暮らし方を知ること
もし、家の中が不要なモノで溢れ、
些細なことばかりに時間を奪われていたら、
どれだけ素敵なインテリアや価値観を取り入れたとしても、
土台が整っていなければ、心地よさは長く続きません。
大切なのは、何かを足すことではなく、まず余計なものを取り除くことです。




不要なモノを手放すことで、物理的な余白のある空間が生まれ、
同時に、精神的なゆとりも生まれていきます。
不純物の少ない暮らしの土台を用意してから、本当に気に入ったものを少しずつ足していく。
その順番ではじめて、ヒュッゲな暮らしは形になります。
私がひとつの目安にしているのは、
「自分が持っているモノの個数・保管場所・所持理由を、すべて把握できる状態」です。
目を閉じれば、部屋のどこに、何があるのかがすぐに思い浮かぶ。
クローゼットの中には、どんな服が、何着あり、
それぞれの服の「どこが気に入っているのか」を、
迷わず言葉にできる。


この状態が、モノを手放すプロセスのひとつのゴールだと思っています。


モノで溢れた現代では、程度のいいモノは、驚くほど安く手に入ります。
100均やプチプラが、その代表例です。
けれど、そこにいるだけで満ち足りた気持ちになる空間をつくるには、
「美しさ」を無視することはできません。


本当は「満たされた暮らしに、おしゃれは必要ない」と言いたいところですが、
美しさは、ヒュッゲを支える重要な要素のひとつです。


ほんの僅かな違いが、空間の心地よさを大きく左右します。
よく目につくもの。
よく手に触れるもの。
よく身につけるもの。
そうしたモノにこそ、
自分なりの基準とこだわりを持つことで、
「自分だけの心地よい空間」が育っていきます。


とはいえ、高価なモノやブランド品を揃える必要はありません。
大切なのは、自分の美的感覚に正直であること。
自分が「美しい」「心地いい」と感じるものを選ぶことです。


この美的感覚は、モノを徹底的に手放した後に育っていく感覚です。
モノを手放すプロセスが一度で終わらないように、お気に入りのモノを揃えるプロセスも、
少しずつ進めていくべきです。
なぜなら、一度手にしたモノには、必ず執着が生まれます。
だからこそ、必要のないモノまで勢いで揃えてしまうと、
手放せなくなり、また「いらないモノで溢れた空間」に戻ってしまいます。
「それを持つ理由は何か?」
そう自問自答しながら、今の自分に本当に必要なモノなのかを見極める。
そして、厳選したモノと、少しずつ入れ替えていく。
ミニマリズムをベースにしたヒュッゲな暮らしとは、
丁寧な暮らしの更新作業なのだと思います。
ヒュッゲに暮らすコツは「生きるハードルを低くすること」
生きる上で、生きるハードルは低いほうが生きやすい。
これは、ヒュッゲな暮らしを考えるうえで、とても大切な視点です。
リラックスできるヒュッゲな空間をつくること。
楽しいヒュッゲな時間を手に入れること。
そのために、お金をかけすぎてはいけません。


なぜなら、心穏やかに暮らすには、「無理をしなくても成り立つ生活」であることが必要だからです。
ヒュッゲな空間というと、テレビや雑誌、Instagramなどで見る
広くておしゃれな部屋を思い浮かべがちです。
「自分も、あんな素敵な空間で暮らせたらいいな」そう思ったことがある人も多いはず。
ですが、おしゃれな部屋に住んでいる=心穏やか、とは限りません。
結局のところ、生きていくにはお金が必要です。
そして、必要なお金が多くなればなるほど、
稼がなければいけない金額も増えていきます。
「素敵な家具に囲まれ、贅沢なものを日常的に食べているけど家計がいつもギリギリな人」と、
「飾り気がなく、簡素な暮らしをしているけど家計に余裕がある人」では、
後者のほうが穏やかに暮らせる可能性が高いといえます。
つまり、生きるために必要なお金が少なければ少ないほど、
無理をしなくても、心穏やかに暮らせる可能性は高くなるということです。
矛盾しているようですが、ヒュッゲに暮らすために大切なのは、
「美しくもありながら、質素に暮らす」ことです。


このバランス感覚が必須になります。
- たくさん持たなくてもいい。
- 背伸びをしなくてもいい。
- 自分たちにとって心地いいラインで暮らす。
生きるハードルを下げることは、
ヒュッゲな暮らしへの、いちばん確かな近道です。
ヒュッゲアイテムを考える前に
次は、ヒュッゲアイテムについて考えていきましょう。
暮らしの中で自分に合ったモノを探す時間そのものも、ヒュッゲな時間だからです。


急いで正解を見つける必要はありません。試して、合わなければ手放す。
その繰り返しの中で、少しずつ「自分たちらしい心地よさ」が見えてきます。
さて、まずはヒュッゲな部屋づくりで欠かせないポイントから紹介します。
結論からいえば、
- 落ち着ける場所をつくること。
- 余白があり、自分がリラックスできる場所を持つこと。
これに尽きます。


二章:ヒュッゲな空間に欠かせない4つの要素
ヒュッゲな空間をつくるために、そろえておきたい要素は、次の4つです。


- 間接照明
- 机と椅子
- 植物
- 余白
どれも高価なモノである必要はありません。
「落ち着けるかどうか」を基準に選ぶことが大切です。
まず見直したいのは「光」


日本の賃貸でよくあるのが、
部屋全体をピカッと明るく照らす、天井の白いシーリングライト。
シーリングライト自体を否定するつもりはありません。
ただ、「日常生活に、そこまで強くて明るい光は本当に必要なのか?」
一度、立ち止まって考えてみてもいいと思います。
平日の昼間は会社で働き、家にいる時間の多くは夜、という人も多いはず。
夜に帰宅して、あと数時間で眠るのであれば、
刺激の少ない、少し暗めの部屋のほうが体も心も自然と休まります。


食事や読書で光が必要なときは、
部屋全体を照らすのではなく、「手元だけを照らす」という選択肢もあります。
暖色の光がつくる、ヒュッゲな空気


照明を暖色に変えるだけで、部屋の印象は驚くほど変わります。
光が柔らかくなると、空間に余白が生まれ、気持ちも自然と落ち着きます。
ヒュッゲな空間づくりは、大きく変えることではなく、
小さく整えることの積み重ねです。
まずは「光」から。この記事を参考に、ぜひ一度見直してみてください。


テーブルと椅子は、空間の「重心」
テーブルは、大きければ大きいほど美しく見え、実用性も高くなると感じています。
たとえば一人暮らしであれば、小さなローテーブルひとつで、食事も作業もこなせるかもしれません。
ただ、窮屈なテーブルに器を詰め込んで食べるよりも、
大きなテーブルで余白をたっぷり使って器を並べるほうが、
食事の時間ははるかに豊かになります。
食の豊かさは、味だけで決まるものではありません。
空間や雰囲気も、大きく影響します。
おすすめは「丸テーブル」


ヒュッゲな空間づくりでおすすめしたいのが、丸テーブルです。
丸テーブルは、どこに座っても顔が見えやすく、食事中も自然と会話が生まれやすい形です。
特に、中央に脚があるタイプは席の自由度が高く、
隣同士で話したり、向かい合って作業したりと、
その時々の過ごし方に柔軟に対応できます。
来客があったときや、ライフスタイルが変わったときにも使いやすいのも魅力です。
また、丸という形そのものが、角のない、穏やかで柔らかい印象を与えてくれます。
リラックスして過ごしたい空間には、とても相性のいい家具です。
椅子は「心地よさの要」


食事にしても、作業にしても、椅子の座り心地は、時間の質を大きく左右します。
座り心地が悪いと、食事もどこか慌ただしくなってしまいがちです。
反対に、くつろげる椅子があれば、
自然と食事のペースはゆっくりになり、
その時間自体を楽しめるようになります。
私は以前、椅子を置かずに、
無印のクッションやトレーニング用のベンチに座って生活していたことがあります。


暮らすこと自体に支障はありませんでしたが、
居心地の良さという点では、やはり椅子があったほうが断然よかった
と、後から実感しています。
椅子は「現実的な選択」でいい
とはいえ、椅子は「良いものを」と思うと、それなりの価格になります。
デザイナーの椅子を、正規メーカー品で揃えようとすると、
1脚で10万円前後することも珍しくありません。
ただし、リプロダクト品という選択肢もあります。


デザインを忠実に再現して復刻生産されたものであれば、
2〜3万円台から手に入るものも多くあります。
模造品や粗悪品というわけではなく、
「現実的な価格で、長く使える椅子」として、十分に検討する価値はあります。
わが家でも、Yチェアのリプロダクト品を使っています。
同じペーパーコード素材で座り心地も抜群です。
購入のタイミングで運よくセールに出会えたこともあり、
無理のない範囲で、納得できる選択ができました。
ヒュッゲな暮らしは、背伸びをしすぎないことも、大切な要素です。
緑は、空間に「呼吸」を与える
植物などの緑には、空間を落ち着かせ、心を緩めてくれる力があります。
喫茶店やショッピングモールなど、長く滞在してほしい場所に、
必ず観葉植物が置かれているのは偶然ではありません。


視界に入る緑は、無意識のうちに緊張を和らげ、
その場を「居てもいい場所」に変えてくれます。
ミニマルすぎる空間は、少し息苦しい
私自身、かつては極端にモノを持たない時期がありました。
その頃は、「観葉植物なんて邪魔でしかない」「水やりも手間だし、買うだけお金の無駄だ」
そう思っていました。
確かに、モノが少ない空間はスッキリしています。
管理もしやすく、掃除も楽です。
けれど、そこに温もりや癒しがあるかと問われると、
どこか無機質で、落ち着かない空間でもありました。
ヒュッゲに必要なのは「削る」だけではない
スッキリしていることと、心地よいことは、必ずしも同じではありません。
余白のある空間に、ほんの少しの緑を足す。
それだけで、部屋は驚くほど表情を持ちはじめます。


完璧に整えられた空間よりも、
呼吸できる余地があり、やわらかさを感じられる空間のほうが、
人は長く心地よく過ごせます。
癒しと温もりが、豊かさになる


ヒュッゲな暮らしにおいて、大切なのは「何もないこと」ではありません。
スッキリ感がありながら、癒しと温もりがあること。
そのバランスこそが、豊かな暮らしにつながります。
観葉植物は、その象徴のような存在です。
たったひと鉢でも、空間の質は大きく変わります。
モノを減らしたその先に、あえて迎え入れる「生きた緑」。
それは、無駄ではなく、暮らしを深めるための、大切な一要素だと感じています。


余白は、心の余裕をつくる
余白は、心の余裕を生み出してくれます。
何も置かれていない空間には、それ自体に美しさがあります。
余白があることで、そこに置かれた一つひとつのモノが強調され、
より輝いて見えるようになります。
余白がない部屋は、疲れる


反対に、余白のない部屋はどうでしょうか。
床や壁がモノで埋まり、
視界に入る情報量が多い空間は、無意識のうちに緊張を生みます。
「散らかっているわけではないのに、なぜか落ち着かない」
そんな部屋は、たいてい余白が不足しています。
圧迫感のある空間では、リラックスすることは難しく、
ヒュッゲとは程遠い状態になってしまいます。
目安は「床の30%」


余白づくりで、ひとつの目安になるのが
床の30%以上を、何も置かない状態にすることです。
数字にすると多く感じるかもしれませんが、
実際に確保してみると、視覚的な解放感は想像以上です。
すべての家具を減らす必要はありません。
ただ、「本当にそこに置く必要があるか?」を一つずつ問い直し、
空いている床を意識的につくる。
それだけで、部屋の印象は大きく変わります。
余白は、贅沢ではなく設計
余白は、何もない「無駄」ではありません。
意図的につくる、暮らしの設計です。
ミニマリズムでモノを減らし、ヒュッゲで心地よさを足す。
その土台として、余白は欠かせない存在だと感じています。
モノを置かない余白は、暮らしを豊かにしてくれます。
三章:空間を整えた、その先にあるもの
ここまで、ミニマリズムをベースにしたヒュッゲな暮らしとして、
空間の整え方や、道具の選び方について紹介してきました。


余白をつくり、光を落ち着かせ、座り心地のいい椅子や、緑を取り入れる。
それだけでも、暮らしは確かに心地よくなります。
けれど、空間が整っただけで、
心まで自然と整うかというと、必ずしもそうではありません。
心地よさは「内側」からつくられる
どれだけ居心地のいい部屋にいても、
頭の中が忙しければ、気持ちは落ち着きません。
逆に、考え方が整っていれば、多少環境が整っていなくても、
穏やかに過ごせる日もあります。
ヒュッゲな暮らしを支えているのは、インテリアや道具だけではなく、
日々どんな視点で世界を見ているかという「思考」そのものです。


次は「思考」を整える話へ
お金を使わなくても満たされる感覚。
他人と比べすぎず、自分の芝生の青さに気づける視点。
それらはすべて、意識の向け方ひとつで変わっていきます。
次の章では、ヒュッゲな暮らしを内側から支える
「思考の整え方」について、私なりの考えを紹介していきます。
空間を整えたその先にある、
心の整え方について、一緒に見ていきましょう。
比較は、不幸しか生まない


多くの悩みは、突き詰めていくと「他人と自分を比較すること」から生まれているように感じます。
- 学校
- 職場
- 友人関係
人はどうしても、「誰か」と自分を照らし合わせてしまう生き物です。
特に日本は、平均的であることを重んじる文化が強い国だと思います。
教育の過程でも、「みんなと同じであること」が善だと教えられてきました。
さらにメディアでは、
- 年代別の平均年収
- 平均貯蓄額
- 初婚年齢は何歳
- マイホーム購入は何歳
私たちは日々、平均値の情報シャワーを浴び続けています。
自分の立ち位置を知るために、平均が気になる気持ちはわかります。
その数字に振り回されている限り、本当の意味での幸福感は得られません。
人と比べ始めた瞬間、人生は窮屈になる
人と比べて、自分は上か、下か。
上なら優越感を抱き、下なら劣等感を募らせる。
そんな生き方を、「素敵だな」と思えるでしょうか。
上には、必ず上がいます。比べ始めたら、キリがありません。
そして「人より上回ること」を人生の目標にした瞬間、
自分自身の心の羅針盤を失っていきます。
人と比較し始めた途端、
人生は一気に窮屈で、生きづらいものになってしまうのです。
逆に言えば、「世間がどうであろうと関係ない。私は私だ」
そう思えるようになると、人生の悩みの多くは、驚くほど小さくなります。
人生は、それぞれの物語を生きている
- 同僚のほうが成績がいい。
- 友人のほうが見た目に恵まれている。
- 知人のほうが立派な家に住んでいる。
けれど、その人たちにはその人たちの人生があり、それぞれの物語を生きています。
あなたは、あなたの人生を生きればいいんです。
宇宙に太陽が二つとないように、「私」という存在は、世界でたった一人です。
そんな唯一無二の存在であるにもかかわらず、
「平均像」というデータと自分を比べて、優劣を気にすることに、
一体どんな意味があるのでしょうか。
比較してもいい。ただし、視点を変える
「幸せに暮らすには、他人と比較してはいけない」
よく聞く言葉ですが、正直なところ、それができたら苦労しないですよね。
人と比べてしまうのは自然なこと。隣の芝が青く見えるのも、どうしようもありません。
大切なのは、比較しないことではありません。
自分の芝生も、ちゃんと青いと気づくことです。
たとえ、収入や暮らし、環境で劣っている部分があったとしても、
「それでも、今の生活は十分じゃないか」
そう思えた瞬間、
比較はもう、あなたを傷つけるものではなくなります。
今、目の前にあるものに集中する
では、何をすればいいのか。
それは、「いま、目の前にあるものに集中すること。」


誰かと比べれば、自分は劣っているように見えるかもしれません。
けれど、今の暮らしが本当にあなたを不幸にしているかといえば、
そんなことはないはずです。
むしろ、日々の生活の中で、ちゃんとあなたを支え、
静かに幸せにしてくれている存在でもあります。
欠乏マインドから、満ち足りた視点へ
手に入らないものに目を向け続けると、心は欠乏感でいっぱいになります。
そうではなく、
・いま使っている道具
・いま暮らしている空間
・いま過ごしている時間
それらに目を向け、「もう、十分ある」と気づくこと。
足りないものを数える暮らしから、すでにあるものを味わう暮らしへ。
欠乏マインドから抜け出し、自分の芝生をどう青くしていくかだけを考える。


それが、他人に振り回されず、心地よく暮らすためのヒュッゲな思考だと思います。
自分の芝生は、もう、思っている以上に青いのです。
贅沢は、「気づく」ことが大切
贅沢な暮らしや、高価なモノがいけないわけではありません。
大切なのは、「贅沢を、贅沢だと認識できているかどうか」だと思っています。


贅沢は、値段や希少性だけで決まるものではありません。
気づけたときに、はじめて贅沢になる。それが、ヒュッゲ的な感覚です。
ありふれた日常に、すでに贅沢はある
たとえば、
・スタバのコーヒーが思った以上に美味しかった
・古本屋で300円で買った小説が、夜更かしするほど面白かった
・一日の終わりに入るお風呂のお湯が、妙に気持ちよかった
どれも、特別なイベントではありません。


けれど、その瞬間に「いいな」と感じられたなら、それは立派な贅沢です。
比較をやめると、満たされ始める
旅館の温泉でなくても、有名な銭湯の大きなお風呂でなくても、
自宅のお風呂が気持ちいいことに変わりはありません。


もちろん、温泉旅行には温泉旅行の良さがあります。
けれど、「それでなければダメ」になってしまうと、
日常は一気に色あせてしまいます。
比べる対象を外に置きすぎると、満足の基準はどんどん上がり、
生きるハードルも高くなっていきます。
すでに手に入っている贅沢に気づく
- 蛇口をひねればお湯が出ること。
- 夜でも安心して本を読める明かりがあること。
- 静かに眠れる場所があること。
これらはすべて、本来なら、とても贅沢なことです。


その贅沢を、「当たり前」として流してしまうか、「ありがたい」と感じられるか。
その差が、日常が満ちているかどうかを分けます。
ヒュッゲは、特別を増やすことではない
ヒュッゲな暮らしとは、特別な贅沢を増やすことではありません。
すでにある贅沢や幸せに、気づく感度を高めること。


そう考えると、ありふれた毎日は、実はとても豊かで、
満ち足りた時間の連続だということに気づきます。
お金をかけなくても、心が満たされる理由は、
すでに、日常の中にたくさん転がっているのです。
まとめ|お金を使わなくても、暮らしは満たせる


- 一章:ミニマリズムをベースにした、ヒュッゲな暮らし方を知ること
- ヒュッゲに暮らすコツは「生きるハードルを低くすること」
- ヒュッゲアイテムを考える前に
- 二章:ヒュッゲな空間に欠かせない4つの要素
- まず見直したいのは「光」
- 緑は、空間に「呼吸」を与える
- 余白は、心の余裕をつくる
- 三章:空間を整えた、その先にあるもの
- 比較は、不幸しか生まない
- 人と比べ始めた瞬間、人生は窮屈になる
- 人生は、それぞれの物語を生きている
- 比較してもいい。ただし、視点を変える
- 今、目の前にあるものに集中する
- 欠乏マインドから、満ち足りた視点へ
- 贅沢は、「気づいた瞬間」に立ち上がる
- まとめ|お金を使わなくても、暮らしは満たせる
お金をかければ、確かに選択肢は増え、便利さも手に入ります。
けれど、お金を使わなければ満たされない暮らしが、
本当に心地よい暮らしなのか?と考えるようになりました。
- ミニマリズムで、余計なモノを手放し、暮らしの土台を整える。
- ヒュッゲの考え方で、日常の中にある心地よさや小さな贅沢に気づく。
この二つを生活に取り入れることで、「たくさん持たなくても、十分満たされる」
そんな感覚が、少しずつ育ってきたように思います。
- 余白のある空間。
- 落ち着ける光。
- 座り心地のいい椅子。
- 部屋にひとつある緑。
そして、ありふれた日常を贅沢として味わう視点。
他人と比べるのではなく、自分の芝生はもう青いことに気づく姿勢。
これらは、特別な才能や多額のお金がなくても、今日から少しずつ取り入れられるものばかりです。
とはいえ、思考の整え方や、生活習慣、休日の過ごし方については、
まだ模索中の部分も多くあります。
完璧な答えがあるわけではなく、暮らしは、試しながら整えていくものだと感じています。
これからも、実際にやってみてよかったこと、うまくいかなかったことを含めて、
また記事にしていくつもりです。
お金をかけなくても、心地よく、穏やかに暮らすヒントを、
一緒に探していけたら嬉しいです。
続きも、ぜひ楽しみにしていてください。




















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