
よめぬん
childcare/Hygge/health science
- 32歳 3人暮らし (夫・息子)
- 育児歴 1年
よめぬん私が子育てをするうえで、大切にしたいと思っていることがあります。
それは、子どもを「一人の人間」として扱うことです。
これは夫とも共通している、我が家の子育ての軸のひとつです。


でも、これが実際にやってみるとなかなか難しい。
「まだ子どもだから分からないだろう」
「どうせ理解できないだろう」
「大人がやってしまったほうが早い」
そんなふうに考えて、つい大人の都合のいいように、
作業的に子どもを扱ってしまうことがあります。
もちろん、子どもは大人と同じことができるわけではありません。
でも、「できない」のではなく、まだやり方を知らないだけなのかもしれない。
そう考えることを、私は大切にしたいと思っています。
「できない」のではなく、「やり方を知らない」
モンテッソーリ教育についていろいろな本を読む中で、
私がいいなと思った考え方があります。
子どもは、一人の人間として尊重される存在であり、さまざまなことができる。
ただ、まだ経験がなく、やり方を知らない。
だから大人の役割は、何もかもやってあげることではなく、
そのやり方を教え、必要な環境や道具を用意すること。
この考え方が、私の「子どもを一人の人間として扱いたい」という思いと、とてもよく重なりました。
将来、自分のことを自分で考え、自分で選び、自分で行動して、
自分自身を幸せにできる人になってほしい。
私は、そんな「幸せに生きる力」の高い人に育ってほしいと思っています。
そのためにも、子どもの頃から「あなたは何も分からない存在だから、私が全部決めてあげる」
という関わり方は、できるだけしたくありません。
……とはいえ、これが本当に難しい。
「どうせ分からない」が、一番怖い
子育てをしていると、時間に追われていることもあります。


着替えさせる。
ご飯を食べさせる。
お風呂に入れる。
車に乗せる。
寝かせる。
毎日繰り返すことだからこそ、いつの間にか「作業」になってしまう。
子どもが何かに集中していても、
「はい、もう行くよ」
と突然抱き上げてしまったり、
「こっち向いて」
とこちらの都合だけで動かしてしまったり。
そのとき頭の片隅にあるのは、
「まだ小さいから分からないよね」
という気持ちだったりします。
でも、そんなときに私が立ち返りたいと思っている考え方があります。
「もし、自分が介護される側だったら?」
という視点です。
もし、自分が介護される側だったら
例えば、自分がおばあちゃんになったとします。
耳が聞こえにくくなって、目も見えにくくなった。
でも、周りが思っているよりも、ちゃんと分かっている。
そんな状態のときに、自分が育てた息子から、
「うちのおかん、もう何も分かってへんから」
と言われて、目の前で自分をないもののように扱われたら。
きっと、とても嫌だと思う。
何かに集中しているときに、何の声かけもなく突然車椅子に乗せられたら、
「今、やっていたことがあったのにな」
と思うと思う。


食事の時間になって、いきなり口元に食事を運ばれて、
「はい、食べて」と言われるより、
「今からご飯ですよ」
「一口食べましょうか」
と声をかけてもらったほうが、私は嬉しい。
車椅子を押すときだって、
「今から押しますね」
「右に曲がりますよ」
と教えてもらいたい。
たとえ、こちらが理解しているかどうか分からなくても。
むしろ、理解できている可能性があるなら、なおさら丁寧に接してほしい。
私はそう思います。
子どもにも「今から何をするか」を伝えたい


そして、それは子どもでも同じなんじゃないかなと思うようになりました。
「今から抱っこするよ」
「お着替えするよ」
「右に曲がるよ」
「お風呂に行こうか」
「今から車に乗るよ」
そんなふうに、一つひとつ声をかける。
大人からすれば、ほんの一言です。
でも、その一言があるだけで、子どもにとっては
「自分に何が起こるのかを知ることができる」
という大きな意味があるのではないでしょうか。
私は、こういう語りかけながら育てること自体が、
子どもに対する礼儀なんじゃないかなと思っています。
「どうせ分からないから」ではなく、
「あなたにも知る権利があるから、伝える」。
そんな感覚です。
「育ててやっている」ではなく、「一緒に生きている」
子育てをしていると、どうしても、
「親が子どもを育ててあげている」
という感覚になりやすいと思います。


もちろん、実際に親がしなければならないことはたくさんあります。
子どもは一人では生きていけません。
でも、だからといって「親のほうが上」ということではないと思うのです。
特に、0歳から3歳くらいまでの、本当に手のかかる時期。
私はこの時期を、
「親が子どもを育てている時間」だけではなく、
「子どもから宝物のような時間をもらっている期間」
でもあると思いたい。
毎日抱っこを求めてくれる。
一緒に遊んでほしいと言ってくれる。
私を必要としてくれる。
そんな時間は、いつまでも続くものではありません。
むしろ、この3年間ですでに、
子どもから最大級の親孝行をしてもらっているのかもしれない。
そう思える自分でいたいと思っています。
もちろん、毎日そんなふうに穏やかに考えられるわけではありません。
イライラすることもあるし、「もう早くして!」と思うこともある。
余裕がなくなれば、つい雑になってしまうこともあります。
だからこそ、完璧にできることを目指すのではなく、
気づいたら立ち返ることを大切にしたいと思っています。
子どもに丁寧に接することは、未来の親子関係にもつながる
以前読んだ『自分の親に読んでほしかった本』という本の中にも、
子育てについて考えさせられることが書かれていました。


子どもは、親からどのように扱われてきたかという経験をもとに、人との関わり方を学んでいく。
親が子どもに丁寧に接してきたなら、子どももまた、
親や周りの人に丁寧に接することを自然と学んでいく。
逆に、親が「子どもだから分からない」と、子どもの気持ちや意思を軽く扱ってきたら。
その積み重ねは、いつか親子関係の中にも表れてくるのではないかと思います。
だから私は、今の接し方を「今だけのこと」だとは思いたくありません。
今日、子どもにどう声をかけるか。
今日、子どもが何かをしているところをどう扱うか。
今日、子どもが甘えてきたときにどう受け止めるか。
そういう小さな積み重ねが、未来の親子関係をつくっていくのだと思います。
おわりに:「自分が介護されるなら?」を、子育ての軸に


子どもに対して丁寧に接したい。
そう思っていても、毎日の生活の中では、どうしても忘れてしまいます。
だから私は、迷ったときにこう考えるようにしています。
「もし、私が介護される側だったら、どうしてほしい?」
急に動かされるより、声をかけてほしい。
何も分からない人として扱われるより、一人の人間として尊重してほしい。
自分が今していることを、いきなり中断させられるより、
「これからこうするよ」と教えてほしい。
食事を「作業」として扱われるより、「今からご飯ですよ」と声をかけてほしい。
そう考えると、子どもに対しても、
自然と「ちゃんと伝えよう」「丁寧に接しよう」と思えるようになります。
子どもだから、分からない。
子どもだから、仕方ない。
子どもだから、大人の言う通りにすればいい。
そうではなくて、
子どもだからこそ、一人の人間として丁寧に扱いたい。
私はそんなふうに子育てをしていきたいと思っています。
甘えてきたときには、できる限り全力で受け止める。
何かをするときには、声をかける。
子どもが何かをしているなら、その時間や意思を尊重する。
できないことを代わりに全部やるのではなく、できるようになるための方法を伝える。
そして、日々の小さな場面で、
「この子が大人になったとき、どんなふうに人と接する人になってほしいだろう」
と考えてみる。
そのためにはまず、私自身がこの子に対して、
どんなふうに人と接するのかを見せていく必要があるのだと思います。
子どもを育てているようで、実は私自身も、
子どもから人との向き合い方を教えてもらっている。
そんな気持ちで、これからも子育てをしていきたいです。



最後まで、ご覧いただきありがとうございました!
おすすめの書籍ですので、ぜひ手に取ってみてほしいです。












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